対馬グランドホテル

〒817-0322 長崎県対馬市美津島町鶏知甲41−10

対馬グランドホテル


対馬グランドホテル




対馬グランドホテル画像1 対馬グランドホテル画像2 対馬グランドホテル画像3

対馬グランドホテル

〒817-0322 長崎県対馬市美津島町鶏知甲41−10

対馬グランドホテル


対馬グランドホテル




対馬グランドホテル画像1 対馬グランドホテル画像2 対馬グランドホテル画像3

津島旅行記

★天王川公園 (津島市) 藤まつり ★Wisteria festival of Tenno river park (Tsushima-shi).(by bigwellさん)

津島
■天王川公園(津島市)藤まつりに行ってきました。
 壮大なスケールを誇る天王川公園の藤棚は、津島市(愛知県)が昭和49年4月(1974.4)、市の花「フジ」に制定されたのに伴い、かつての「藤浪の里」といわれた津島の藤の名所を蘇らせるため、昭和53年度よりこの藤棚を整備したものです。
 天王川公園の藤は、キュウシャクフジを中心に9種類のフジが植えられており、4月下旬から5月上旬にかけてほのかな甘い香りを漂わせて垂れ下がる薄紫の藤のトンネルは見事なものです。
 満開の藤、花の甘い香りが一面に立ち込めていました。

■It has carried out to the Wisteria festival of Tenno river park (Tsushima-shi).
 The wisteria trellis of the Tenno river park which is proud of a grand scale,It follows on Tsushima-shi (Aichi Prefecture) having been enacted by the city flower ”Wisteria” in April (1974. 4), Showa 49.
 In order to revive the famous place of Fuji of Tsushima called once ”Fujinami’s village”, This wisteria trellis was fixed from the Showa 53 fiscal year.
As for wisteria of the Tenno river park, nine kinds of wisteria is planted focusing on KYUUSHAKUWISTERIA, Apply from the end of April early in May. A tunnel of wisteria of the thin purple which sets a delicate sweet scent adrift and hangs down is brilliant.
 Wisteria in full bloom and the sweet scent of a flower had veiled the whole surface.


【旅行時期】2006/05/08~2006/05/08
【エリア】津島・愛西・蟹江
【テーマ】花見・紅葉
【投稿者】bigwell

木曽御嶽アーカイブ(by Yunnanさん)

津島


菅原壽清の御嶽に関する調査研究については、ホームページ
  • http://www17.ocn.ne.jp/
  • ~sugato/
    をご覧下さい。
     日本山岳修験学会と木曽町の共催による学術大会を2007年11月3〜5日の予定で、木曽において開催します。初日は、「木曽御嶽信仰」に関する講演会とシンポジウム、第二日目は会員による研究発表、第三日目は御嶽山の見学会を予定しています。

     第28会日本山岳修験学会・木曽御嶽学術大会のホームページを立ち上げました。学術大会の他、夏には御岳登山も計画しております。詳しくは、
    < 
  • http://www.clovernet.ne.jp/
  • ~koba_tn/ >
    をご覧下さい。

    これを機会に、御嶽の過去と現在を写真で記録する作業を行いたいと思っています。とりあえずは、私個人が収集した写真の掲載を行い、その後周辺へと広げて行きたいと考えています。木曽御嶽信仰に関する写真を収集し保存することで、御嶽信仰の学術的研究をより進展させたいと思っています。

    木曽御嶽に関する調査研究歴
    1977(s52)年6月 日
    東京講社調査
    1977(s52)年8月5〜7日 木曽御嶽登山 
    1977(s52)年8月20日
    新宿の御嶽山大教。
    1977(s52)年9月3〜4日 御嶽山大教
    1977(s52)年11月2〜3日 木曽御嶽本教
    1977(s52)年12月
    奈良・木曽御嶽教本部
    1978(s53)年 月
    東京世田谷駒沢の御嶽講社
    1979(s54)年8月5〜11日 御嶽登山

    1979(s54)年8月27〜29日 木曽教会、釜戸教会調査
    1979(s54)年9月23〜24日 木曽教会調査
    1979(s54)年9月30日 本庄普寛霊場調査 
    1979(s54)年10月10日 本庄普寛霊場大祭調査 
    1979(s54)年10月28日 本庄普寛霊場調査 
    1979(s54)年10月28日 早朝、<木曽御嶽山噴火>
    1979(s54)年11月1〜4日 木曽教会調査
    1980(s55)年4月10日 本庄普寛霊場・春季大祭調査
    1980(s55)年8月2〜10日 木曽教会、御嶽調査
    1980(s55)年9月5〜9日 木曽教会夏山登拝調査
    1980(s55)年10月10日 本庄普寛霊場・秋季大祭調査
    1980(s55)年11月2日 王滝調査
    1981(s56)年4月10日 本庄普寛霊場・春季大祭調査
    1981(s56)年8月3〜9日 木曽教会、御嶽調査
    1982(s57)年4月10日 本庄普寛霊場・春季大祭調査
    1982(s57)年8月3〜日 木曽教会、御嶽調査
    1982(s57)年10月〜日 越後八海山調査
    1983(s58)年8月〜日 木曽御嶽調査
    1984(s59)年2月〜日 冬の王滝調査
    1984(s59)年4月〜日 本庄普寛霊場調査
    1984(s59)年8月〜日 木曽御嶽調査
    1984(s59)年9月14日 長野県・<西部地震発生>
    1984(s59)年9月18日 名古屋・岩崎霊神場調査
    1985(s60)年8月1〜5日 木曽御嶽調査・地震後の調査
    1985(s60)年11月〜日 群馬・桐生華蔵寺調査
    1985(s60)年10月10日 本庄普寛霊場・秋季大祭調査
    1986(s61)年5月 日 名古屋調査 明栄講などを調査
    1987(s62)年8月 日 御嶽調査
    1988(s63)年5月3日 秩父三峯神社・普寛神社調査
    1990(h2)年? 上野・金杉の一心霊場調査、霊岸島調査
    1990(h2)年3月11日 東京浅草の御嶽調査
    1990(h2)年3月13日 東京教会調査
    1990(h2)年4月 日 神習教本部を訪ねる
    1990(h2)年3月14〜15日 埼玉・江原教会、与野一山神社、新宿調査
    1990(h2)年4月 日 下町の江東区付近で御嶽講の調査。
    1990(h2)年5月2〜4日 名古屋・覚明生誕地・岩作心願講・明栄講調査
    1990(h2)年10月2日 埼玉・深谷一心霊場調査
    1990(h2)年12月1日及び15日 東京大田区雪が谷、上野 一山神社調査
    1993(h5)年月日 木曽御嶽調査
    1994(h6)年10月8〜10日 木曽御嶽三笠山・木曽教会・釜戸・松本の講社調査
    1994(h6)年10月14日 群馬・迦葉山調査、帰途15日本庄調査
    1995(h7)年5月3日 岐阜・名古屋・一宮
    1995(h7)年11月〜日 群馬・桐生華蔵寺調査
    1996(h8)年10月日 奈良・御嶽教本部調査
    1996(h8)年11月25日 名古屋・岩崎霊神場調査
    1997(h9)年8月
    日 木曽御嶽調査 三笠山・清滝・新滝
    1998(h10)年4月10 日 本庄普寛霊場・春季大祭調査
    1998(h10)年8月
    日 東京板橋・一山神社調査
    1998(h10)年7月17〜20日 木曽御嶽山・王滝、田の原
    1998(h10)年8月26日 木曽御嶽黒沢口八合目
    1998(h10)年7月18
    日 東京練馬中村・一山講調査
    1998(h10)年月日 群馬・伊勢崎調査
    1998(h10)年11月2 日 普寛神社・秩父三峯神社
    1998(h10)年12月12 日 名古屋岩崎霊神場・津島御嶽講調査
    1999(h11)年5月3日 埼玉秩父・普寛生誕地調査
    1999(h11)年4月8 日 岐阜中津川調査
    1999(h11)年5月 日 埼玉北部・秩父御嶽神社調査
    1999(h11)年9月17 日 岐阜中津川調査
    1999(h11)年9月10日 埼玉東松山野田の御嶽調査
    1999(h11)年10月2日 埼玉深谷一心霊場調査
    2000(h12)年4月6日 東京杉並、石神井、三鷹久我山近辺の御嶽調査
    2000(h12)年? 福生・牛浜の御嶽神社調査
    2001(h13)年2月18日 東京世田谷・三軒茶屋近辺の御嶽講調査
    2001(h13)年3月6日 東京新宿、池袋・十条近辺の御嶽講調査
    2001(h13)年11月6日 群馬桐生の御嶽調査
    2002(h14)年11月16日 名古屋一宮・明照教会
    2003(h15)年7月31〜8月2日 木曽御嶽登拝
    2005(h17)年6月 御嶽との関連について上諏訪神社調査。
    2005(h17)年7月11日 御嶽本教・王滝の御嶽神社訪問
    2005(h17)年10月28日 御嶽教・奈良里の本部

    【旅行時期】1977/06/~2005/10/
    【エリア】木曽
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】Yunnan

    日本の旅 みちのく文学を辿る【10】 太宰治の「斜陽館」と弘前、秋田(by さすらいおじさんさん)

    津島
    秋田市は千秋公園(久保田城跡)に咲くつつじがきれいだった。また琵琶湖に次ぐ広さだった八郎潟が干拓され一面の水田になっている光景も見ることができた。
    秋田出身の作家では横手市で幼児期をおくった石川達三(1905−1985年)が1968年に「毎日新聞」に連載し、人間の欲望と挫折を描いた「青春の蹉跌」が思い浮かぶ。その当時は連載の展開を知りたくて毎日、新聞を読むのが楽しみだった。「青春の蹉跌」は人気を集め1974年には萩原健一 、桃井かおり、檀ふみらのキャストで映画化もされた。
     太宰治(1909−1948年)の生家で国の重要文化財に指定されている太宰治記念館「斜陽館」は是非訪問したいところだった。
    太宰治の実家・津島家は、青森県下有数の大地主で父・源右衛門は衆議院議員、貴族院議員をつとめた名門の家系だった。太宰は弘前高校時代には泉鏡花や芥川龍之介の作品に傾倒し作家を志望し、以後生涯井伏鱒二に指導を受けている。太宰は39年の生涯で5回 自殺未遂を図り、6回目となる1948年に東京・三鷹市、玉川上水で愛人・山崎富栄と入水心中、太宰の誕生日である6月19日に亡くなった。 この日は桜桃忌(おうとうき)として知られ、三鷹の禅林寺を多くの愛好家が訪れるが出身地・青森県金木町でも「太宰治生誕祭」を催している。太宰の代表作と言えば「斜陽館」の名前にもなった「斜陽」 (1947年) や入水心中で亡くなった1948年に暗澹たんたる絶望感を描いた「人間失格」など人間の暗い面を抉り出す作品があげられるが私は中学時代に読み、教科書でも多く取り上げられている「走れメロス」(1940年)の印象が最も強い。ドイツの詩人・シラーのギリシャ神話をベースにした詩「人質」(小栗孝則訳)を素材として、太宰が肉付けした作品だ。人を信じることができなくなり反逆者の疑いをかけた国民の処刑を次々と続ける暴君を暗殺しようとするが捕えられ、死刑を宣告されたメロスは妹の結婚式を済ませてから死にたいと3日の猶予を申し出、親友・セリヌンティウスを身代わりにすることを認められる。妹の結婚式を済ませた帰路で洪水などの災難に見舞われ約束の時間に間に合わなかったメロスは親友の身代わり処刑の寸前に刑場に辿りつく。友人同士の深い信頼感に感動した暴君は罪を許し自分の行いを改め国民が国王に大喝采するという太宰には珍しいハッピーエンドの作品だ。「走れメロス」については亀井勝一郎の「友情の理想であり、人間への信頼の完璧な姿を夢見た」などの賞賛の一方「人間不信という暗さを二ヒルに描いた作品」というやはり太宰作品は人間不信だとの評価もある。それは鎌倉での心中未遂事件で女性が死に自分は生き残ったという裏切り意識と、精神の病の治療のため騙されて強制入院させられた裏切られ意識があり、「人間不信」に陥っていた時期だから、という説などからだ。確かに太宰の39年の人生は人間不信と精神的やまいの悩みに終始したかもしれない。だが「走れメロス」では「人間不信」を克服する「信頼関係」があることを信じたかったのだと思う。太宰作品の素晴らしさは常に自分の死を念頭に置き命がけで書いていることが読者に伝わる点だと思うが「走れメロス」は人間を信じて生きたいと願った希望を持った時期であったと思いたい。
     金木の街の芦野公園には太宰の文学碑があり、弘前からは太宰の「津軽」「故郷」に登場する津軽富士・岩木山が美しく見えた。太宰の少年時代を垣間見る旅だった。
    (写真は斜陽館)    

    【旅行時期】1993/05/22~1993/06/03
    【エリア】弘前・津軽半島・深浦
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】さすらいおじさん

    日本の旅 みちのく文学を辿る【6】 青森県の十和田湖・奥入瀬・八甲田山(by さすらいおじさんさん)

    津島
     十和田八幡平国立公園は青森、岩手、秋田の三県にまたがり、八甲田山から十和田湖にかけての一帯と八幡平から秋田駒ヶ岳にかけての一帯の二つのエリアに分かれている。
    十和田湖は、標高400メートル、最深327メートル、面積61平方キロのカルデラ湖で現在は20種の魚類が生息するが、1903年に支笏湖から移入したヒメマスの養殖に、和井内貞行が成功したことは小学生の時に習った。十和田湖の子ノ口から流れでた奥入瀬渓流は、銚子大滝などの滝をはさみ約70キロ先の太平洋まで至っている。焼山と子ノロ間の奥入瀬渓流沿い14キロには、遊歩道が整備され、ブナ、カツラなどの樹木の間を渓流美を楽しみながら歩いた。遊歩道は整備されていたが、1993年当時は樹木の安全管理は不十分で、雨上がりで地盤が緩んだからか突然大木が遊歩道上に倒れてきた。幸い観光客に怪我は無かったが驚いた体験だった。
    十和田湖で有名なものの一つは1953年に「十和田の三恩人」と呼ばれる大町桂月・武田千代三郎・小笠原耕一の三人を顕彰するため,青森県が制作依頼したという高村光太郎(1883−1956年、彫刻家・詩人で彫刻家・高村光雲の長男)作の「乙女の像」だ。当時の青森県知事は,太宰治の実兄・津島文治で裸婦像という大胆な光太郎の提案も快く認めたそうだ。二体の裸婦像の顔は,亡き智恵子の顔で光太郎の「智恵子抄」で示された智恵子への深い愛情が伝わってくる。「智恵子抄」は1957年に山村聡 (光太郎)原節子 (智恵子)主演で映画化され、衰弱した智恵子が光太郎が含ませてくれたたレモンの露に感謝しながら息を引き取るシーンは多くの人達を感動させた。光太郎は智恵子との不滅の愛を誓い智恵子が永遠に生きるように十和田湖畔に「乙女の像」を制作した訳だが、2人は夫婦愛の鏡だと言えるだろう。
     八甲田山(1584m)を見ると新田次郎(1912−1980年)の「八甲田山死の彷徨」を思い出す。日露戦争開戦目前の1902年、寒地訓練のために冬の八甲田山を雪中行軍するが210人中197人の凍死者を出した実話で1977年に映画化された。新田次郎は中央気象台勤務時代の知識をベースとした山岳小説が有名だが、冬山の恐ろしさを良く教えてくれた。このときの八甲田山系は舗装され、美しい山並みを見ながら十和田湖から青森市まで快適なドライブができた。
    (写真は十和田湖)

    【旅行時期】1993/05/22~1993/06/03
    【エリア】八甲田・十和田湖・奥入瀬
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】さすらいおじさん

    初☆生餌☆イカ釣り予定が…(by 空っちょさん)

    津島
    本日、蛤をとりに行きたかったが雨で断念…
    気を取り直し?小雨になったので☆初生餌☆イカ釣りへ変更!!!

    おぉっ☆イカ獲ったどぉっ!!!!(ノ*`・Д・)ノくコ:彡証拠の墨を吐いた形跡が!!!

    【平成18年5月13日(土) 雨⇒夕方から?小雨?風強い  大潮(25?)・干潮時間11:59頃】

    【旅行時期】2006/05/13~2006/05/14
    【エリア】四日市
    【テーマ】自然・動物
    【投稿者】空っちょ